インタビュー ウィズ ユー VOL.01
ーーーこれまで観てきた番組の数はもうわからないくらい。でもこれから先、死ぬまで見続けたとしても満足することはできないわ。だって死んだらその先のテレビ番組を観ることができないんだもの。(クラシキキョウコ)ーーー
天才視聴者としてその名前を世に知らしめたクラシキキョウコ。様々な番組を「観る」ことに、視聴することに捧げてきた彼女のことを知る者は少ない。そんな彼女の人生に、死生観にせまってみたい。
ーー今回はインタビューを受けていただいてありがとうございます。
「別に構わないわ。 ただわかっているでしょうけど私には大事な時間なの。それは分かっているわよね(笑)?」
ーーもちろんです(笑)。
「だったらいいの。そのことを知らずに私の時間を奪い去ろうとする人もいるわ。私にはそれが許せないの」
ーー肝に命じます。
「今回は私の視聴時間を削ってでも応えるべきだと思ったわ」
ーーそうなんですか。
「そりゃそうよ。私のことをなにも知らずに「引きこもり」だの「干物女」だのいろいろ言われるのよ。もちろん別に気にしないし何とも思わないようにしてるわ。でもね、そう言っても心のどこかは傷ついているの。気がついたら心が痛くて触れてみたら血が滲んでる。そんな感じなの。別に理解者など求めていないし理解してほしいとも思っていなかったけど今回インタビューの申込みを受けて考えてみたわ。そして自分が認められたがっている事実気づいたの。あぁ、私は『理解して欲しがっている』んだと。でもひょっとしたらそれも事実ではないかもしれない」
ーー今回のインタビューは私がクラシキさんに興味をもったことが一番のキッカケだったんです。
「興味を持たれるような人間じゃないような気がするんだけど(笑)」
ーーそんなことないですよ。
「そう?悪い気はしないわね(笑)」
はじめて会った時の彼女の印象は鋭利な刃物のようだった。彼女はこちらに対する警戒心を解こうとはしなかった。メールで何度かのやりとりをしインタビューのアポを取り付けていたにも関わらず、だ。
筆者は最初警戒心の、猜疑心の塊なのだろう、そう理解していた。しかし彼女の鋭利さはナイフのような鋭利さであっても硬さではなかった。言葉を交わす間に彼女の周囲にあった緊張感は雲散霧消していた。
ーー早速ですがよろしいでしょうか。
「もちろん。というかもうはじまってると思ってたわ」
ーー一番最初に観たテレビ番組って覚えていますか。
「もちろんと言いたいけど実は覚えていないの」
ーーそうなんですか。
「子供の頃からって言わせたいのかもしれないけど子供の頃はほとんど観てないの。父も母もとても厳格で厳しい人だったわ。クイズ番組とニュース番組だけ、それも一日一時間。アニメなんてとんでもない。そんな家庭だったからテレビのことはそれほど好きじゃなかった」
ーー厳しい家庭だったんですね。
「結局面白いと思えなくて中学生の頃は逆に全く観なくなったわ。クラスメートの子達は前夜のテレビ番組の話題で盛り上がっている。でも私にはまったくなんのことだか」
ーークラスメートとは仲良くしてました?
「そうね。うわべくらいは。みんな仲良しなんてフリだと思っていたわ。ありえないって。どこか冷めていたのね」
ーーそれはテレビを見なかったことと関係あります?それともクラシキさんご自身の本来の性格的なことなんでしょうか。
「テレビは別に関係ないわね。もちろんテレビの話題が多いと言ってもそれが全てじゃないわ。授業のことや先生のこと、試験のこと、あの世代は話題に事欠かないものよ」
ーーじゃあ性格的な。
「そうかもしれない。あの時代は私は自分のこともクラスメートのこともどこか他人事のように空の上から眺めているような、そんな感じでいたわ」
ーー…。
「まるで人生のすべてが淡いパステルカラーで彩られたもののように儚げに感じていたような気がするわね」
ーーでもそれだとテレビ番組どころか人生そのものにも興味なくても仕方ないですね。
「そうね。はしゃいでる男の子をみても恋愛相談してくる女の子をみても私にはおぼろげな『向こう側』のようにしか見えなかったわ」
ーー何がきっかけで変わったんですか。
「変わったのかしら。ひょっとしたら今もおぼろげな世界のなかにいるのかもしれない。そんな気持ちになることもあるのよ。こう見えてもね(笑)」
ーーいやいや(笑)。
「テレビの話だったわね。私、高校を卒業してすぐに就職したんだけど、会社まで遠かったの、自宅が。 それで朝早く起きて通勤してたんだけど、遠いものだから天気が心配で天気予報を観てたのね」
ーーはい。
「で、そのときかな『ファンダメダル』っていうのをやってたの。知ってるかしら」
ーーあぁ、覚えています。
「その時にね、なんだろう、引き込まれてしまったの、とっても」
ーーはい。
「そのうち出勤するとか天気を確認するという本来の目的を忘れて番組に取り込まれてしまったのね」
ーーでもそれだったらその番組にのみ興味を示すのではないかと思うんですが。
「そうね、普通ならそうかもしれない」
ーー普通じゃなかった?
「失礼ね(笑)。というより好奇心旺盛だったんじゃないかな」
ーーというと。
「出勤前の短い時間だけでもこんなに面白い番組があるのなら他にも、他の時間にも面白い番組がたくさんあるんじゃないかしら、そう思ったのね」
ーーあぁなるほど。
「不思議だったわ。目の前のクラスメートや現実に興味を持てなかった私が画面越しの向こう側に興味を持つ、釘付けになる」
ーーはい。
「仕事をしていてもテレビのことが気になって気になって。職場にね、休憩時間を過ごすスペースがあったんだけど、そこにテレビ情報雑誌があって。私はじめてテレビ番組の情報誌って見たのよ。衝撃的だったわ」
ーー今でもそうですが多くのテレビ情報誌がありましたものね。
「こんなにたくさんの番組が朝から晩まで、それこそ深夜もやってるなんて!そう思うと観たい気持ちに突き動かされて。でも実家だし、まだ就職したての頃だから手元には余計なお金なんて」
ーでも観たい、と。
「そう、観たい。それでね、通勤時間を理由に勤務先に近いところに引っ越したいって親にお願いして。引っ越し費用を貯めて三ヶ月後に独立したの」
ーー決断してからが早いですね。
「そうね、そうかもしれない」
ーー引っ越ししてすぐテレビに夢中になったんですか。
「残念だけどそうはいかなかったの。引っ越し費用は自分で出したんだけど用意できなかったわ。冷蔵庫や洗濯機は買ってもらったんだけどテレビはなかったわ」
ーー厳格なんですね、そこも。
「もともと期待してなかったけど、それでも気持ちのどこかでもしかしたら買ってもらえるかもと思っていたかもしれない。でもそれがよかったのね」
ーーといいますと。
「買ってもらっていたら『買ってもらったテレビ』だと気持ちのどこかで親に遠慮していたかも。自分で買ったからこそのめり込んでいったのかもしれないわね」
ーー親の方からすると逆手でしたね(笑)。
「そうね(笑)。で、それから引っ越ししてから一ヶ月かな、先輩の女性からテレビをもらったの。嬉しかったわ」
ーーよかったですね。
「お古で型もそんなにいいものではなかったけどそれでも嬉しかったわね。私にとってははじめて宝物と言えるものよ(笑)」
ーーセッティングとか直ぐに出来ました?
「どこをどうやったかは覚えてないけど直ぐに観れるようになったわ。情熱があればなんとかなるものね(笑)」
ーーで、それから。
「そう、仕事が終われば寄り道せずに帰ってきて画面に釘付けになっていたわね。で一年くらいしてからテレビを買い足して」
ーーえ?買い換えて、ではなくて?
「文字通り買い足したのよ(笑)。新しい方でお気に入りや新番組を観て、先輩のお古で別の番組を観て。五年ぐらいで4台まで増やしたの」
ーー…。
「途中で6台まであったのかな。まず先輩のお古が壊れちゃって。それからモニターの故障もあって」
ーー…。
「でも結局4台で落ち着いたわね」
ーースゴいですね。
「そんなことないわよ、他にももっと多い人だっているわよ」
ーーだってその後…。
「そう、ビデオデッキも買い足していって。部屋の片側の壁がテレビやビデオデッキでいっぱいになった時は我ながらあきれたわ(笑)。でもそれ以上に充実感が勝っていたわね(笑)」
今の彼女の部屋はスッキリしている。テクノロジーの進化に伴い、モニターは薄くなり4台のテレビモニターはすっきりと壁に収まっている。録画はHDDを利用、大容量のはずだが片手に収まらない台数が積み重ねられている。ありとあらゆる番組を観る、観たいという欲求は今もなお尽きることがないと彼女は恥ずかしそうに言う。それでも晴れやかさを感じさせずにはいられない笑顔の奥底になにか秘密があるのではないかと思わずにはいられない。
ーー今までに観た番組のことを伺いたいのですが。
「どういうことかしら」
ーーこれまででどんな番組が一番印象に残っていますか。例えばドラマとかバラエティとか。
「難しい質問ね」
ーーそうですよね、これまで沢山ご覧になってるワケですから。
「それもそうだけど私基本的には繰り返し観ないの」
ーーえ?
「もちろん再放送とかは観るわよ」
ーーいやいや、ちょっとまってください。だって録画してもう一度観たりしてるんじゃないですか?
「あれはあくまで万が一に備えて用意したものよ。それに仕事に行ってる時間の番組録画とか」
ーーじゃあ基本的には…。
「一回観て終わりね」
ーー好きなドラマとかもう一度観たいと思いませんか?
「もちろん思うわよ」
ーーだったら…。
「でも観ないようにしてるの。それは録画であってテレビで放送している『今』ではなくなってしまうものだから」
ーー『今』でない。
「そう。私はあくまでも『今』の放送番組を観たいの」
ーーそれは流行とかを知りたいとかそういうことですか?
「いいえ。ただ単純に『今』を観たい。それだけよ」
ーー…。
「もちろん仕事をしている時間は見れない。でも『今』により近いところで観るようにはしているわ」
ーーそれは何故でしょう。
「何故?不思議な質問ね(笑)」
ーーそうでしょうか。
「だって私は『今』を観たい、それだけよ。それ以上でもそれ以下でもないの。ただ観たいの。そこに情報を求めたりしないわ。鑑賞しているだけよ」
ーーなるほど。
「残念だけどモニター越しの世界は私にとっては真実ではなかったような気がするわ。もちろん面白いと思うしいろんなことをしるキッカケにもなったわ。でも事実ではあっても真実ではない」
ーーもう少し詳しく、いいですか。
「いいわよ。例えば素敵なドラマがあるとする。でもそれはドラマであって真実ではない。登場する俳優さんは実在するけど役柄は実在ではない。そういうことよ」
ーーなるほど。
「ニュースやバラエティにしたって同じ。そこに事実はあるかもしれないけど真実とは限らないわ」
ーーはい。
「私は幼い頃からテレビに触れずにいたために、多分それが一番の原因だと思うのだけれど、今もこんな風にテレビを観ている。でもね、それは観ているだけなの」
ーーはい。
「現実はあくまでもモニターを観ている私であってモニターの向こうは現実のフリをした架空の世界だわ」
ーーでもそれならそんなにまでテレビ番組に夢中になるものでしょうか。
「そうね。はたから見たら夢中になっているように見えるのかもしれないわね(笑)」
ーー違うと。
「確かにそういう一面もあるかもしれない。でもね私は自分を自分の現実を理解するためにテレビを観ているような気がするわ」
ーーうーん。
「趣味や好きなことに夢中になる人はいるわね。でもそういった人たちはその好きなことに没入する感じ。わかる?」
ーーあぁなるほど。
「でも私はテレビを観れば観るほど覚めていく感じがするの。現実を理解し『今』を感じるような気がするの」
ーーうんうん。
「ちょっと難しい話になっちゃったわね(笑)」
ーーいえ、何となくですがわかるような気がします。
「日曜のサザエさんを観て明日からの仕事を思ってブルーになる、そんな感じかしら。でも私の場合はブルーになったりしないわ。ただただ現実を理解するだけ」
ーーはい。
「痛みを伴うことはないし、もちろん悲しみなどの感情も伴わない」
ーーただ現実を理解するだけだと。
「そうそう」
ーーであればテレビじゃなくてもよかったのでは。
「そうね。否定はしないわ」
ーーじゃあなぜテレビだったのか、という。
「逆にテレビではダメなの?ってことよね」
ーーうーん。
「キッカケがなにかなんて人それぞれでしょう?そもそも現実を知るのに理由なんてないわ。もっと言えば知る必要もないし、知らなくても生きていけるのよ」
ーーでは質問させていただきたいのですが、クラシキさんが『天才視聴者』と言われるようになったのはどういった経緯からなんですか。
「わからないわ。そもそも私が言い始めたわけでないし。自分で言ってたら可笑しいでしょ(笑)」
ーーそうですね。
「仮に私がそう呼ばれているのだとして、仮によ(笑)。私にはなんの関わりもないことだわ」
ーーそうでしょうか。
「だって天才だろうが凡才だろうが私のこれまでに変わりはないわ。これから先は分からないし変化が訪れるのかもしれないけど私自身の本質は変わりようがないもの」
ーーうーん。
「そもそも何をしたら天才で、凡才でというのがあるのかしら。テレビを観ているだけなのに」
ーーそれはそうなんですが世間ではそのように言われてますよね。
「それはあなたの世間であって私の世間ではないわ、という言い方も出来るわよ(笑)」
ーーそう…ですね。
「まぁ同じ世間であるということにしたとしても伝達方法が違うかもしれないわ。何かが違えば例え同じものであってもまるで違う姿に見えるものかもしれないわ」
ーーうーん。
「大事なのは世間がどうこうではなくて貴方がどう思うかではないかしら」
ーーはい。
「そしてなによりも私自身がどう思っているか」
ーーどう思われているんですか、ご自身のことは。
「天才ではないわね、期待を裏切るようで悪いけど(笑)」
ーーそんなことないですよ。
「ただひとつの物事を突き詰めていくことを天才というならそうかもしれないし光栄なことかもしれない。でも私はただテレビを観ているだけなのよ」
ーーはい。
「逆に聞くけど長生きし続ければ生きることの天才と呼ばれるのかもしれないって思う?生きるということだけで。そして長生きできなかったら凡才と評されてしまうのかしら」
ーーそれはちょっと…。
「そうよね。それは才能を評価するようなことではないもの。私は番組を評価したりタレントさんを批評したりしないわ。観るだけなのよ」
ーーはい。
「インタビュアーとしては不満かもしれないわね、こんな結末では(笑)」
ーーいえ、そんなことないです、ありがとうございました。
「こちらこそ」
ーー最後にもうひとつ、いいですか。
「どうぞ」
ーーこれからもずっとテレビ番組を『観てるだけ』なのでしょうか。それともこれからなにか新しいことをはじめるために観ているのでしょうか。
「なにも考えていないし決めていないわ。明日のことは思い悩んでも仕方ないし、どうなるかわからないもの。これまで多くの番組を観てきたけど、だからといって『それが何』って話よね(笑)。」
ーーはい。
「私が生まれる前から放送され、私が死んだ後もきっと変わることなく放送される。そしてそれはこの先も多分かわることはないわ。きっと満足することのできる人生ではないかもしれない…いえ、きっとそう。死んだ後もつつがなく放送されていく番組を、ドラマの続きを思えば…成仏できるような人生じゃないことだけは確かよ(笑)」
ーーそれでも見続けますか。見続けるだけですか。
「そうよ。天才とか凡才とか私には関係ないもの」
テレビを観てるだけーーーこのインタビュー中に彼女は何度も繰り返した。私はただ観てるだけなのだと。しかしそうだろうか。彼女は自分の存在を「観る」ことで実感していると答えていた。そんな風に自己定義するためにテレビ番組を観ている人を私は他にしらない。それが彼女が天才と評される所以ではないかと勝手に想像したりもしていたのだが、彼女の受け答えはまるで捉えどころがないようで何かほんの指先にだが何かを感じたような気もする。
「観る」。
それだけのことをエンターテイメントにまで昇華することができる唯一の存在ではないか。そう思っていた自分の思いはインタビューが終わっても揺らぐことは決してなかった。